一つの勉強理論3

 「どこまで」勉強するか。
 法律の勉強は終わりがないので、ある程度意識して範囲を区切るのは試験対策として重要だと思います。また、司法試験は所詮は相対試験なので、範囲を区切るという意味で重要な意味を持つのは「どのくらいの人が答えられる問題か」という視点になります。
 僕は、試験対策講座をまず完璧にしようと思いました。試験対策講座に載っていない論点や判例などの知識を持っている受験生はごく少数だと考えたからです。別に試験対策講座が素晴らしいテキストだといっているわけではなくて、基本的にはどのようなテキストでもマスターしている受験生はごく少数だと思います。その意味で、一つのテキストをマスターできれば、かなりのアドバンテージになるような気がします。
 というわけで、よくいわれることではありますが「手を広げない」というのが重要だと思います。基礎知識のインプットはこのテキストと共に心中する、というテキストを決めて何度も読み込む方が、多数のテキスト類を読み込むよりも力は付くような気がします。
 もっとも、色々なテキストに目を通すことが悪いとは思いません。色々なテキストを読んで同じ事象について色々な表現方法を知ること自体は有意義であると思います。僕自身、通読した基本書(学者の書いたもの)は皆無といって良い状態ですが、一部を見たという基本書はそこそこ多いと思います。言いたいのは、色々なテキストをすべてマスターしようとする意識を捨てて、マスターするテキストを一つ選ぶべきだ、ということです。限られた時間で色々なテキストをマスターなど普通は出来ないので。
 他方で、インプットテキストの他にアウトプットテキストについても各科目一つの演習書を決めた方がよいと思います。実際には、このアウトプットテキストでインプットした知識や理解を確かなものにしていくことになると思います。これは、「どのように」勉強するかと絡むの次で書きます。ちなみに、インプット用のテキスト(僕の場合試験対策講座)は、二回ほど通読した以外は、「通読」という作業はせず、調べものするときにまず一番に開くテキストとして使ってました。