弁護士増で質低下、札幌高裁判事が母校投稿

 札幌高裁民事第2部の末永進総括判事が母校の函館ラ・サール高校(北海道函館市)の同窓会ホームページに「弁護士の質の低下の傾向がはっきり窺われる。法廷がロースクール化している」と指摘し、司法制度改革による弁護士の増員を批判する投稿をしていたことがわかった。
 現職判事が司法制度改革を批判するのは異例だ。
 投稿は5月25日付で、「民事裁判はなぜ時間がかかるのか」という題名。金銭の貸し借りを巡る訴訟を例に出し、弁護士の中には「(審理の対象となる権利や法律関係を意味する)訴訟物という法律用語を知らない人もいる」と弁護士側の調査の不十分さや認識不足を指摘し、裁判の遅延の理由に挙げている。
 末永判事は「我が国の裁判制度は、ある意味で退化している」として、弁護士の増加が質の低下につながる懸念を表明。弁護士の力量不足を裁判官が補うために「法廷がロースクールと化する」と指摘した。
 法科大学院で多額の授業料を払う必要があることなどについても「裕福な家庭の子女でなければ法曹となれない」と法曹の門戸を狭くしていると言及した。(読売新聞)


こういうのは全文読まなきゃね。明日早いので感想はまた明日。以下http://www.h-lasalle.com/alumnus/alumnus.php#1から引用。


 民事裁判は、原告がある一定の権利に基づいて被告に一定の行為を請求したり、一定の法律関係を確認したり、一定の法律関係を形成したりする制度です。そして、その一定の権利は訴訟物と呼ばれています。たとえば、原告所有の建物になんらの権限もなく居住している被告を退去させるのは、原告の建物所有権に基づく妨害排除請求権という訴訟物によるのです。また、原告所有の建物を被告に貸していたところ、被告が賃料を支払わないので、建物賃貸借契約を解除して、退去させたい場合には、建物賃貸借契約の債務不履行解除に基づく原状回復請求権がその訴訟物となります。
 そして、その訴訟物の存在について、原告に主張立証責任が生ずることになります。すなわち、原告において、その訴訟物の生ずる一定の事実を主張し(いわゆる原告の言い分)、被告にその認否を促し、その言い分を認めれば、原告勝訴の判決となり、被告が原告の言い分を否認したり、知らないと答弁した場合には、原告において、その事実の存在を立証するために証拠を提出することになります。被告は、原告提出の証拠とは相いれない証拠(いわゆる反証)を提出し、裁判官がそれぞれから提出された証拠を吟味して、その事実の存否を判断するのです。その原告・被告の双方の言い分と裁判官の判断過程を文字にしたものが、判決文なのです。
 このように説明すると、民事裁判は極めて簡単なように思われますが、実際には、そのようなわけにはいきません。なぜなら、弁護士のなかには訴訟物という法律用語すら知らない人や、訴訟物の存在を主張するための一定の事実(これを要件事実といいます。)を正確に理解していない人もいるのです。もちろん、本人が訴訟行為を行ういわゆる本人訴訟ならなおさらのことです。
 貸した金を返してくれないという事件を題材にして一例を挙げましょう。原告が提出した訴状には、「原告は、被告とは長年の友人であり、親友であった。その被告が、どうしてもお金がいるので貸してほしい。一月後にはきっと返済できるなどというので、3回にわけて、300万円を貸した。しかしながら、被告は、言を左右にして、300万円を返さない。よって、300万円と平成21年1月31日から年5分の割合による金員の支払を求める。」との記載されています。それに対して、被告は、その答弁書において、「金銭300万円は借りたものではないので否認する。被告は原告に300万円を支払う義務はない。」と主張しています。このような場合に、原告及び被告の主張は十分証拠調べに入ることができるほど整理されているのでしょうか。その答えは否です。これでは、裁判官は、どのような事実の存否を判断すればよいのかはっきりとしないのです。
 このような金銭消費貸借契約に基づく金銭の返還請求権の要件事実は、法律学上、①金銭の交付、②返還約束といわれています。
 訴状記載の原告の言い分では、①の金銭交付の要件事実が不十分なのです。事実としては、いつ、どこで、誰が、どのような形で、誰に、いくらを渡したのかということが主張されなければならないのです。3回に分けてというけれども、それは、いつのことか、それぞれいくらを誰に渡したのか、現金か、手形かなどなどです。また、②の返還約束の要件事実についても、いつ、誰が、いつまでに返済すると言ったのかがはっきりしないと、事実を調べるにしても、調べようがないのです。
 このように、当事者の主張が不十分であり、争点として、どのような事実の存否を判断すれば、勝敗が決まるのかを明確にする手続がいわゆる民事訴訟の口頭弁論期日における裁判官の釈明といわれています。当事者の代理人弁護士がその事案を十分に調べ尽くしていれば、その期日に直ちに返答ができるはずです。しかも、この釈明は、当事者の代理人弁護士がその事件を取り扱う以上、当然予期できる事実なのです。しかし、その実態は、裁判官からの釈明事項に関しては、次回書面により釈明するなどと述べて、当該期日にはそれ以上進行することができない場合がほとんどなのです。このようにして、当事者の言い分を確定させる作業に早くて約1年程度はかかってしまうのが通常なのです。
 もうお分かりでしょう。民事訴訟が遅延する一番大きな要因は、当事者が事実関係を十分に調査せず、したがって、主張すべきことを主張していないことによるのです。確かに、裁判所にも遅延要因がないわけではありません。一人の裁判官の手持ち事件数が多いことや、判決起案に時間が掛かり過ぎることも一因です。しかしながら、十分に事実を調査せずに、訴状を提出する当事者に多くの原因があるのです。
 このようなわけで、民事裁判が遅延しています。そして、我が国の裁判制度は、ある意味で、退化しているような気もしています。目下、小泉政権下における司法制度改革により、刑事裁判手続きにおいて裁判員制度が始まろうとしています。そして、この制度には賛否両論があり、いろいろと問題があるようですが、それよりも問題なのは、法曹資格者を毎年3000人程度に増員しようとしていることなのです。弁護士が増えるのは良いことでしょうが、良いことだけではないのです。先ずは、質の低下が危惧されますし、現に、私の法廷では、その傾向がはっきりと窺われます。法廷で、弁護士にいろいろと教示する必要がでてきているのです。その意味では、法廷がロースクールと化することもあります。さらに、法曹資格者の養成制度が変わり、今までは大学に在学しようが、卒業しようが、司法試験という試験にさえ合格すれば、司法修習生になることができ、それと同時に国家から給与が支給されるので、お金持ちの師弟でなくても、法曹となることが比較的に容易であったのに、今では、大学の法学部を卒業した上、法科大学院に入学し、多大な授業料を支払った上、司法修習生となっても国家からの給与は支給されないこととなり、すべて順調に行ったとしても、25歳にならなければ、自分で稼ぐことができず、その結果、裕福な家庭の子女でなければ、法曹となれないような制度ができあがってしまっているのです。また、弁護士が大増員された結果、弁護士としての収入が減り、弁護士という仕事の魅力が減殺されてきているのです。加えて、通常ならば、事件にならないものが、弁護士の報酬獲得のために、事件として裁判となることも容易に想像できます。日本は確実にアメリカ型のような裁判社会に一歩を踏み出そうとしています。そして、裕福な階層からしか法曹が生まれないことになりつつあるのです。
 私は、来年の12月には定年を迎えます。このような現実の中ですが、私は、天から与えられた使命として、体が許すかぎり、一件、一件の事件を残された時間全力を傾注してがんばろうと思っています。(完)