戯言

最低2年かけて、学費も相当かけて法科大学院を卒業し、5年で三回まで受験できるが、合格率は30%前後。これは相当に厳しい内容の試験だと思います。しかも、「30%というのは法科大学院で切磋琢磨してきた人たちを母数とするものである」(命題)。もちろん新司法試験のことです。
しかし、最近、この「命題」についてこう思うんです。
働き蜂の理論ってあるじゃないですか。本当に分析されて発表された理論かどうかは知りませんが、経験的にも推論的にも結構説得力ある理論だと僕は思います。
ロー制度は、これにより受験者の学力(あくまで試験力)の底上げが難しくなってるんじゃないかと。
つまり、働き蜂の理論により、どのローも、優秀、良好、可、不可という4グループに分かれてると思うんです(「試験勉強量」で分けてます)。感覚的には、1:2.5:3.5:3くらいの割合で。
そして、結局、新司法試験も試験であるから、試験勉強量と合否にはかなりの相関があるはずです。
そうするとですね、法曹就職希望者をロースクールという枠でグルーピング化して、法曹就職希望者にそのグループを無意識に意識させてしまった結果、単純に試験一発になるよりも試験力の底上げを図ることが困難になっているのではないかと。
てかそうじゃないと、いくら相対試験と言っても、去年の択一で230点取れない人が2000人以上いるなんて「法科大学院で切磋琢磨してきた人たちを母数とする」という命題は成立しえないと思うんですよね。択一なんて所詮は勉強量ですから。
旧司や他の試験のように記念受験者がいないという点において、「命題」は正しい。でもそれ以上の意味はないと思います。たぶんこれ(ロー制度にも働き蜂の理論が適合すること)は、予備試験組の新司法試験合格率が相当高くなることで顕在化すると思う。
まとめると、合格率30%で、記念受験者はいない(が、絶対に受からないような人(不可グループ)は3割はいる)試験。この点だけみれば、さほど厳しくはない試験だなと。
三振制度、最低2年拘束、費用百数十万〜という点は、あほみたいに厳しい試験だと思いますが。婉曲表現を躊躇うほどに。